YASUAKI SHIMIZU
YASUAKI SHIMIZU & SAXOPHONETTES
MARIAH
FILM DANCE MIXED MEDIA
PRODUCTIONS COMPOSITIONS ARRANGEMENTS CONTRIBUTIONS
 
 
 
CELLO SUITES 1.2.3
チェロ・スウィーツ 1.2.3
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バッハ、サキソフォン、スペースの三角関係に強く惹かれた清水のバッハシリーズはここから始まった。サキソフォンの音と言うより、その場所の響きを利用し、空間自体を楽器として鳴らすという清水の新たな試みとして、宇都宮の大谷石切場の地下巨大空間や、倉庫を改造したコンシピオスタジオ等で録音が行われた。


1996.11.21
CD
ビクター VICP-235
ON LOCATION
Suite 1 第1番
1.   Prelude プレリュード
2.   Allemande アルマンド
3.   Courante クーラント  
4.   Sarabande サラバンド  
5.   Menuet I, II メヌエット I, II  
6.   Gigue ジーグ  

Suite 2 第2番
1.   Prelude プレリュード  
2.   Allemande アルマンド  
3.   Courante クーラント  
4.   Sarabande サラバンド  
5.   Menuet I, II メヌエット I, II
6.   Gigue ジーグ  

Suite 3 第3番
1.   Prelude プレリュード  
2.   Allemande アルマンド  
3.   Courante クーラント  
4. Sarabande サラバンド  
5.   Bouree I, II ブーレ I, II  
6.   Gigue ジーグ

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プロデューサー: 清水 靖晃、内田 英樹
作曲: J. S. バッハ

清水 靖晃: テナーサキソフォン
第2番 メヌエット:
横山 博、渋沢 吉興、中川 紗弥香、高取 美沙、山中 夏子、
石田 智子、佐藤 未奈子、菊地 明日香: アルトサキソフォン

鈴木 ハルエ、篠澤 勇樹、杉本 加絵、三浦 悌二、山本 安則: テナーサキソフォン

雀 玲子、柿沼 康夫: バリトンサキソフォン

レコーディング / ミキシング: 福田 政賢
録音場所:
第1番: コンシピオスタジオ(東京)
第2番: 大谷資料館(栃木県宇都宮市)
第3番: 那須野が原ハーモニーホール(栃木県大田原市)



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コメント
“異様なレコーディング。西洋人の耳にとってもっとも際だって聴こえるのはメヌエットI, II のテンポである。私達は、ダンスのペースで奏される__カザルスのミリタリー・ドラム調のアタック(タン-タン-タン-タン-タタタン!)のような__メヌエットに慣れている。だが、清水のメヌエットは、かつて聴いたこともない、しかし、スローモーションで動く見慣れたシーンの様に、響く。極めて印象的だ”
(映画監督 クリス・マーカー:「スウィート 1」へのコメント)

“清水靖晃氏は、本来的に旋律的でありながらその旋律は漸進的に拡散するかのようにとらえ難く進行するというJSBの、事物の二元性を瓦解してしまうような特質を踏まえ、肉感的で知性的、主観的で客観的、眩惑的で覚醒的、フォーマルでお行儀が悪い、といった「二元論の彼岸」とでもいうべき態度で見事にそれに応えている”
(上野 耕路)

“京都・高台寺コンサート。時が止まり葉一枚動かぬ無風のその夜、演奏する清水靖晃が目に見えぬ風となり、流れ、疾走するのを確かに見た。そしてその『風』に乗って、僕は遠く幻想世昇に遊んだ”
(アニメーション映画監督 りんたろう)

“いまは遠くからお仕事を拝見しておりますが、己の道を通していこうとする姿はすばらしい。他人が通らない茨の途を開拓していくその姿は自分の姿とも重なります。つらいこともあるでしょうが、やりがいもあ るでしょう。大漁を祈っております。そのうちまた一緒にやろうよ”
(北島 三郎)

“彼の力は木管楽器の演奏にとどまらない。その旺盛なラテン的好奇心はあらゆるジャンルへと交錯し、交流し続けていたため、今現在彼が何処にいるのかさえ定かではない時もあった。才能とはそういうものだ。だがそのようなはじけた時代を通り抜けた今、彼はついに自己の「寂体」ともいうべき精神の深みの中から、最も彼らしい豊かな音楽を奏でているではないか。 清水靖晃は何処にでもなく、今此処にいる”
(細野 晴臣)

“清水靖晃のバッハは、古典音楽への気負った挑戦でもなく、衒った実験でもない。ただ目の前に美しいバッハの音楽があるということだけを教えてくれる。‥‥現代の映画に絶望している人、現代の文学や音楽 に絶望した人たちに、必聴の音楽である”
(映画監督 柳町 光男)

“これは、バッハじゃないね、『清水靖晃』だよ。彼は、バッハの神性を消化し、その他を排泄しちゃった。同時に、自分を排泄し、神性を同化させちゃった。だから、清水靖晃じやないね、これは、『バッハ』だよ。音響の上で最悪の高台寺コンサートを最高のものにしたのは、彼だ。その時、彼は音楽家ではなく、宗教家だった。『音楽』を演奏したのではなく、『祈り』を捧げたのだから”
(高台寺副執事 寺前浄因)

“その響きは、シンプルで力強く、何より、生の人間の「呼吸」を感じさせる。周囲の空気を振動させ、人間の鼓動と共鳴し、やがて大地の息吹と重なりあっていく‥‥、それが清水靖晃のバッハだ”
(NHKドラマ番組 ディレクター 柴田 岳志)

“靖晃さんのバッハが鳴っている空間にいると、音が身体の細胞にどんどんしみ込んでくるんです。そして一枚一枚、衣をはがされていくような感じ、倍音の危険な誘惑でしょうか。現代のサロメはきっとこれを伴奏に踊ると思う”
( TOKYO FM 田中 美登里)

“レストレスに「何か」を探し続けていた僕が、ある日突然、この響きに出会った時、その「何か」が少し分かった気がした。それは、不安な心を包み込むやさしさがある。街の雑踏の中、両手で耳を押さえると聴こえてくる低い響き・・・・・”
(ファッション・デザイナー 山下 隆生 / beauty:beast)

“伝統を守りつつも21世紀の頭脳を持つ日本人につよく魅かれる。清水靖晃は世界的音楽遺産に養分を求め、時代を超えた空間に開花させた”
(ピエール・バルー)


YSノート

なぜバッハか
まずこのプロジェクトは、「なぜバッハか」というより、「なぜバッハか」ということ自体を考えることから始まったと思います。2年前くらいからですが、突然このバッハのことが気になりだしました。それはバッハの旋律が頭に浮かんでくるという現象ではなく、たぶんバッハという単語に纏わる様々なニュアンスが無意識の厚い袋を少しだけ破ってフワフワと意識の領海を漂っていたという感じでしょう。それで、なんでこんな所に漂ってるの?と思い、ちょっと集中して考えてみたわけです。人間は本能が壊れた動物だといいますが、全くそのとおりで、食べるという行為でさえも、食べる=生、とはいかず、食べる−幻想−生、という関係で成り立っていて気をつけないと太っちゃうわけです。(べつに太ってもいいけど)

このように現実の世界はすべての事柄において幻想を媒介しているので時折ヘンテコで面白い現象が出現します。いや面白いですホントに。(いい意味で)さて僕もこの幻想を都合よく解釈して楽しく暮らしているのですが、ある日ふと、バッハ−サキソフォン−時間と距離、という関係が思い浮かび、ではこれをなんとか実現させたいと思いました。

ある批評家などは、「一般的にバッハのイメージは崇高な音楽を創る偉大な作曲家で、ブルジョアのお嬢さんが聴く音楽だという先入観があるが、実は彼の活躍した時代に於いて彼の音楽は世俗的であった」というのですが、僕としてはこの「一般的にバッハのイメージは崇高な音楽を創る偉大な作曲家で、ブルジョアのお嬢さんが聴く音楽だ」というのが笑っちゃうほど面白いと思うのです。バッハが現在世俗的であったらちっとも面白くありません。しつこいようですが「一般的にバッハのイメージは崇高な音楽を創る偉大な作曲家で、ブルジョアのお嬢さんが聴く音楽だ」という音楽をテナーサキソフォンで演奏したら更にグッとくるんではないかと。そしてパロディ、冗談、オチャラケ、また懐疑的な態度でのアプローチではなく、厳格に謙虚な態度で取り組むことにより、バッハ−サキソフォン−時間と距離、という関係がはっきりと浮かび上がってくるのではないかと思うのです。

【ライナーノート】
神なき時代のバッハ
J.G.バラードに「音を取りのける男(The Sound-Sweep)」という短編小説がある(ちくま文庫『ザ・ベスト・オブ・バラード』所収)。常人には聴こえない音を聴き取る能力を持った「音響掃除人」と、前世紀の遺物的な老残のプリマドンナを主人公にした異色作だが、秀逸なのは「音の残滓」という発想・設定だ。

たとえばパーティー会場にはさまざまなゴシップやグラスのふれあう音が残され、ロマネスクの教会の壁面には何世紀にもわたる聖歌隊の合唱と鐘の音がこびりついている。「音響清掃人」はそれらの場所に赴き、積み重なるに任せるべき美しい音とエントロピーとも呼ぶべき雑音とを峻別して、不要なノイズを、練達の庭師が植木を刈り込むように注意深く「掃除」する。清水靖晃の『Cello Suites 1.2.3』は、この作品をただちに連想させる。
といっても、清水はここで単純な「掃除」をしているわけではない。綿密な楽曲解釈と大胆な録音場所の選択とにより、時間と宗教性が堆積したバッハという名の巨樹を洗いなおし、いったん歴史を無化した上で新たな枝葉を茂らせようと試みているのである。

J.S.バッハの『無伴奏チェロ組曲』は、「チェリストにとっての旧約聖書」と呼ばれる名曲中の名曲だ。複数の舞曲を組み合わせた組曲全6番からなり、1720年ごろに作曲したと見られる。バッハの死後、長いあいだ埋もれていたが、20世紀最大の巨匠、パブロ・カザルスが19世紀末に「発見」して以来、フルニエ、シュタルケル、トルトゥリエ、ビルスマ、マイスキー、ヨーヨー・マ、堤剛、ロストロポーヴィチら一線級のチェロ奏者が次々に演奏・録音を行っている。他にリコーダーによる録音や、ジャズ・ギターによるアプローチ(オーネット・コールマン&プライム・タイム『トーン・ダイアリング』)などがあるにはあるが、清水盤はサキソフォン(テナー)による史上初の録音である。
その『無伴奏チェロ組曲』1番から3番を、清水はそれぞれ、倉庫を改造したスタジオのロビー(1番)、大谷石の地下採石場(2番)、建造されて間もない巨大なコンサート・ホール(3番)の3カ所で録音した。3者に共通するのは、音楽にかかわる歴史性の欠如と並外れて高い残響度である。これらの特殊な空間における演奏・録音は、『無伴奏チェロ組曲』のみならずバッハ作品すべての演奏・録音史にあって、きわめて異例な事件であるといわねばならない。

バッハの曲想をひとことで述べるのはもとより不可能だが、『無伴奏チェロ組曲』の最大の特徴は、基本的に単旋律の楽器であるチェロに、ポリフォニックなハーモニーを仮想的に生じさせるところにある。そのためにバッハが採用した戦略は、分散和音を用いて、実際には奏されていない音を暗示するというものだった。語義矛盾とさえいえる「単旋律によるポリフォニー」は聴き手の脳の内部にのみ存在するというわけだが、清水はそれを、演奏空間全体を楽器と化す、というコロンブスの卵的な方法で現実世界に拡大した。よく鳴る空間そのものをバッハの分散和音で満たしたのである。
残響は不協和音や音の濁りを生じさせるおそれがあるが、清水と録音スタッフの計算は実に行き届いている。フェルマータは、ときに前音の響きを打ち切るべく長く、ときに次音とのハーモニーを利用すべく短い。歴史性に限らず個々の楽音においても、一方で夾雑物を取るべく「掃除」をしながら、他方でカオスの魅力をふんだんに発揮させているのである。「崇高でありながら俗で下世話でもあるバッハ」を表現したかったと清水はいう。その思いは、大谷石の地下採石場で行った2番の録音に最も端的に現れている。

採石場は地下数十メートルの深さにあり、古代の神殿を想わせる圧倒的に巨大な空間だ。地上との温度差は10度からときに20度以上もあり、真夏だったがスタッフは冬の身支度で録音に臨んだ。温度差のために空気中の水分が結露し、天井から間断なく落ちる水滴が床全体を濡らしている。携帯用カイロを懐に忍ばせ(!)、ときおり濃縮酸素を補給しながら(!!)、清水はそこで心地よさそうにサックスを吹き鳴らした。耳をこらすと、しとしとと落ちる水音をはじめ、さまざまな微細な音が満ちていることに気がつくだろう。残響と環境音の存在を逆手に取ったこの演奏・録音には、教会のオルガン席に女性を連れ込んだために当局に喚問され、教会音楽と世俗音楽の両方を手がけたバッハも脱帽するのではないだろうか。

教会でも伝統あるホールでもない空間で録音されたこのバッハは、紋切型の宗教史と音楽史から解放されたがゆえに類稀なのびやかさをも獲得している。2番以外でも、たとえば1番の「プレリュード」の軽快な美しさと「メニュエット」の遅さ、そしてファンキーともいうべき「ジーグ」のスピード、あるいは3番の「クーラント」終曲部の長い和音。普遍的であり同時に現代的なバッハがそこにある。ファイン・アートとポップ・アートの狭間に立ち、そのいずれでもある演奏といったらよいだろうか。

バッハはチェロの他に、フルートおよびヴァイオリンのために無伴奏の独奏曲を書いている。歴史に「もし」を求めても意味がないだろうが、サックス、とりわけテナー・サックスの音色のチェロとの共通点(および相違点)を見ると、「もしもバッハの時代にサキソフォンが存在していたら」という想像を禁じることができない。その想像を建設的に具体化したのが、今回の試みだといえるだろう。 そして清水はこの試みにおいて、歴史の残滓を注意深く取捨選択し、これまでには存在しなかったバッハを創出した。その意味で、清水の仕事の半分はバラードの音響清掃人に比されてもおかしくはない。だが、より重要なのは仕事のもう半分の方だろう。現代という時代にふさわしい付け加えるべきものを加えて、清水は『無伴奏チェロ組曲』に新たな時間性(無時間性?)を与え、聖性の中に猥雑さをカオティックに織り込んだのだ。「神なき時代」の新しいバッハの誕生である。
(小崎 哲哉)

【インタビュー】
韓国音楽誌「レコード・フォルム」から抜粋。
Q. このアルバムの制作と編曲を、あなたは自分でやったわけだが、アレンジと演奏を一緒にするということに困難はなかったか?
A. これまでも基本的には独りで音楽制作をやってきたので、さほど苦ではないし、そういうものだと思っています。特に今回の場合は、大変スムーズに事が運んだと思います。
Q. 韓国ではこのアルバムを、クラシックファン、ジャズファン双方が購入している。このアルバムはクラシックなのか、それともジャズなのか?
A. ともかく、音楽を始めてこのかた、なにか一つのジャンルの中で暮らすことを避けてきました。そうすることで多くの問題が生じはしましたが、逆にそれで得たものも多かったと思います。どうしてもジャンル分けにこだわりたいのならば、このアルバムに関しても(僕自身に関しても)、ロック、パンク、テクノなどから変容したものと考えていただいたければ、遠くはないと思います。
Q. 多重録音によってチェロ組曲の本来的な重要性が損なわれている、という批判がある。これについてどう考えるか?
A. チェロ組曲の重要性?しかしどんな根拠でそんなことが言えるのでしょうか?そのテのコメントは往々にして、バッハの歴史的なコンテクストや崇高性、あるいは社会的な権威などを引き合いに出したりするのですが、そこに欠けているのは、実のところ、それを語る人の歴史性や崇高さや社会性に関するセンスだったりするのです。その他に理由があるとしたら、ただその人がこの音を好きではないということだけでしょう。ところで、僕は、ダビングに関して良いか悪いかなんて考えたことはありません。
Q. ジャケットのデザインがスペクトル様になっているが、このデザインのコンセプトはなんだったのか?
A. スペクトラムという表現、僕は大好きです。流動性とか連続性、または変容といった感触にとても魅かれるので、それがこのジャケットにも感じられれば、と思っています。

「サウンド&レコーディング・マガジン」1996.12月号から抜粋。
音をたくさん入れていくという習慣を断ち切れました
Q. バッハの「無伴奏チェロ組曲」を取り上げようというのはいつごろから考えていたのですか?
A 前のアルバム『タイム・アンド・アゲイン』を作ったころから候補の1つだったんです。取りあえずデモのつもりでSUITE1の「プレリュード」をやってみたら、自分の中ですごく通じるものがあって……音楽的な意味でもそうだけど、僕の体とのタイミングが良かったのでしょうね。ほかのバッハの曲も吹いてみたんですが、「無伴奏チェロ組曲」の佇まいが一番良かったんです。
Q. デモは自宅で作るのですか?
A そうです。テレコはなくて Session8 を LogicAudio と組み合わせて作っています。マイクを立てて YAMAHA ProMix01 から Session8 に送って録ったんですが、そのデモのころはソプラニーノとかノイズ音とか、いろいろなものがちょっかいをかけていました……リバーブも機械のものでした。SUITE1を録りにコンシピオに行ったときも、実はいろんなものを持っていったんですけど、そぎ落としていったらテナー・サックス1本になりました。サックス1本でやる方が粒子が細かい感じで明らかにいいんですよ。音をたくさん入れていくという、ある種、習慣になっていたことを断ち切れました。

トンネルやスイミング・プールも録音場所の候補に挙がってました
Q. スウィーツ1-3が別々の場所でレコーディングされていますが、どんな基準で選ばれたのですか?
A コンシピオのロビーは前にも何回か録ったことがあるので最初からやろうと決めてました。そのほかはトンネルだとかスイミング・プールとかが候補に挙がってて、いろいろ見学に行く予定だったんだけど、大谷石の採掘場跡に行って音出しをしてみたら、これはいいぞということでほかは断っちゃった。那須野が原ハーモニーホールに関しては、大谷石とは響きの大きさの違う場所ということで選びました。
Q. 大谷石の採掘場跡で吹いてみた感じはどんなものだったのですか?
A 実際吹いてみるとすごいもんですよ。部屋の中でサックスを吹くと、ホーンから音が出る感じというのがあるんですが、あそこだと自分が吹いているのか吹いていないのか分からなくなっちゃう……溶けちゃっているんですよ。音をつかめそうな感じになる。ただ、遅い曲だと残響を楽しめますが、速い曲だとうまい具合に合わせるのが難しい。響きが気持ちが悪くて吹くのやめるということも結構ありました。
Q. 外との温度差や湿気など、楽器にとっては過酷な状況だったと思うのですが。
A 楽器がすごく冷たくなるんですね。いったん暖めなくちゃ駄目なんで外に出すんだけど、露でびしょびしょになるんです。チューニングも大変なんですが、あまり考えませんでした。元々チューニングってあまり気にする方じゃなくて、むしろ狂っていた方が面白いと思っちゃう。とぼけていないと良くないと思うんです。バッハとテナー・サックスというのだって、ちょっとしたとぼけた感じですしね。

ずっと吹いているとループして自分がハウリングしそうになる
Q. ところどころ重音の箇所もありますが、ダビングで重ねたのですか?
A ええ。でもダビング時のテンポ合わせに特に仕掛けはありません。ドンカマなしで合わせるのが得意なんです。頭から重音が始まるものも合わせられる(笑)。ただ、オーバーダブしているというよりも、知らない人がああいう楽器だと思ってくれればいいなという感じです。
Q. 全部1人でダビングしていったのですか?
A 基本的にはそうです。サキソフォネッツって言いますけど僕1人なんです。僕のソロのアルバムだといろんな人が入っていたりするけど、サキソフォネッツではその反対で、自分の体の中とか雰囲気とか空気だけでグループを見せたいんです。ただ、SUITE2の「MENUET」では重音のニュアンスをふくらますため、20人ほどのアマチュア・サックス奏者と一緒に吹いています。フェリーニの『オーケストラ・リハーサル』くらいのまとまり方が好きなんですよ。ユニゾンをきれいに合わせるのに集中するよりも、下手な人がいて、うまい人がいて、フリケンシーが合わなくてざわざわざわってする感じが好きなんです。だから軽く練習してすぐ本番(笑)。
Q. レコーディングのペースは?
A 1日1曲ずつでしたね。ずっと吹いていると、変な気持ちになっちゃうんですよ。「無伴奏チェロ組曲」ってある種すごくミニマルじゃないですか?だから自分がループしてハウリングしそうになるんです。いたたまれなくなってやめちゃうこともありました。